レクイエム

 久しぶりに、モーツアルトの「レクイエム」(K.626)を聴きながら、このブログでも、遺言書の話を述べておこうと思い立ちました。
 私も、登記実務の世界に長く身を置いていますので、これまでに数知れない相続登記の手続をする中で、多くの遺言書に接してきています。

 自らが亡くなることを意識した方が残すものとして、「遺書」と「遺言」があります。
 「遺書」が、死に臨んでの自らの内なる想い(感謝や苦悩など)や感情を書きしるすものであるのに対して、「遺言」は、自分の財産の分割方法などを示し、残された者にその意思を託すものと言えるでしょう。

 一般的な遺言の方式は、主に「公正証書遺言」と「自筆証書遺言」に二分されます。(このほかに「秘密証書遺言」という方式もありますが、利用件数としてはあまり多くありません。)

 公正証書遺言は、公証人が作成するので、無効となることは考えづらく、また、公証役場で保管されるため、紛失・変造・隠匿の心配もありませんし、家庭裁判所の検認という手続も不要です。一方で、費用と時間と手間がかかり、証人2名以上の立会のもとで、本人に遺言内容を読み聞かせする必要がありますので、そこを懸念したり、心理的な壁を感じられる方もおられるでしょう。

 自筆証書遺言は、誰にも内容を知られずいつでも簡単に作成でき、費用もほとんどかかりませんし、証人も不要です。一方で、法律上の要件を満たしておらず無効となることがしばしば見られ、紛失・変造・隠匿のリスクもありますし、何よりも、長い期間、遺言書そのものが発見されないという可能性さえあります。また、開封前に家庭裁判所に提出して、検認の手続を受けなければなりません。
 なお、家庭裁判所での検認は、あくまでも証拠保全の手続でしかなく、検認を経ても無効と判断されることが少なくありません。実際、私の経験の中でも、そうした事例が複数ありました。

 以下は、長年数多くの遺言書に接してきた私の個人的な感想です。
 公正証書遺言は、ほとんどが定型文言で述べられ、文章もタイプされているのに比べて、自筆証書遺言は、ほかの誰でもない、遺言者本人の自筆によって書き綴られているため、その文体や文脈、筆圧などの印象が、それまで本人の人柄や筆跡に日常的に接してきた相続人らの心情を揺さぶり、心理的な説得力を伴って、本人の想いがより強く伝わりやすいのではないかと感じています。
 そもそも遺言を残す最大の意図は、残された相続人らに争いを起こさないようにするものでしょうから、自分の筆跡と文章で綴ることによって、直接に、その意思を伝える方がもとより好ましいはずです。

 ところで、上述の自筆証書遺言のデメリットを解消させる施策として、令和2年7月10日から、「自筆証書遺言保管制度」が新たに開始されています。
 これは、法務局が、自筆証書遺言の形式不備の有無を審査した上で、遺言書を保管する制度ですので、紛失・変造・隠匿のリスクがなく、家庭裁判所の検認の手続も不要となります。法務局に支払う手数料も、1通3900円ですので、公正証書遺言と比較すると、全体的な費用面でも抑えることができるでしょう。また、希望すれば、遺言者本人が亡くなった後に、あらかじめ指定した者に対して、遺言書を法務局が保管している旨を通知してもらうこともできます。
 私も、相談を受けた場合には、まずはこの制度の利用をお勧めしています。
 ただし、法務局サイドでは、形式的なチェックをするのみで、遺言内容に関する相談には応じてもらえません。せっかく遺言を作成しても、文意不明で、様々な手続に使用できないとなれば、意味をなし得ません。内容に不安や疑問がある場合は、事前に、専門家に相談する必要があるでしょう。もし、将来のことを見据えて、遺言作成を考えられている方がいれば、気軽に御相談いただければと思います。

 レクイエムが、死者を悼み、その安息の眠りを願うものであると同様に、遺言書が、残された者たちの感謝と平穏を導くようありたいものです。