アウレリウス『自省録』

 前回、ゼノンが創始者であるストア学派ついて言及しましたので、いきおい後期ストア学派を代表するマルクス=アウレリウスについて語らないわけにはいきません。

 アウレリウスは、第16代ローマ皇帝で、約200年の繁栄と平和に陰りが見え始めた帝国の難しい舵取りを担った賢帝ですが、外敵の防戦で各地を転戦する多忙な日々においても、真夜中の野営テントの中で、一人きりで蝋燭の灯を頼りに書き綴った手記が『自省録』です。
 その中では、「おまえ」という言葉で呼び掛け、アウレリウスが彼自身と対話する形式となっており、与えられた運命を喜んで受け入れながら、自己に対しては理性に従って生きること、また、他者に対しては同じ理性を共有する同胞としての愛を抱くこと、などの彼の信条に基づく数々の文章が記されています。
 それは、誰かに向けて高邁な自説を披歴したり、差し出がましい説教をしようとしたものでは決してなく、むしろ、自分の内面を深く見つめ、自らの在り方を問い続ける飾りのない心の内を、実に率直に、そして実に生々しく綴った手記なのです。

 ローマ皇帝というと、私たち凡庸とは違う世界の人だと捉えがちですが、『自省録』を読み進めると、私たちと何ら変わらない一人の人間として、迷いと苦悩と自省に満ち満ちた日々を送っていたことがよくわかり、ひたむきに生きようとしている誰もが、アウレリウスに言い知れぬ親近感を抱くことでしょう。
 そして、『自省録』から読みとれる彼の真摯な姿は、現代を生きる私たちにとっても、一つの確かな標となるに違いありません。
 ここでは、『自省録』の一節を挙げておきますが、自分の在り方を模索する彼の姿の一端が理解できるのではないかと思います。


…それとも、寝床に横たわり、ぬくと温まるために私はつくられたというのか。植物、雀、蟻、蜘蛛、蜜蜂が、それぞれ彼ら自身に即した仕事を果たしているさまを、お前は目にしていないのか。そのとき、おまえは人間の仕事を果たそうと思わないのか。自分の本性に由来する仕事に、おまえは赴かないのか…


参照文献:『倫理資料集』(山川出版社)、『用語集倫理【新版】』(清水書院)、『マルクス・アウレリウス「自省録」を読む』(祥伝社親書)。上記一節は鈴木昭雄訳『世界の名著13』(中央公論社)から引用。